lightning2009’s diary

私の趣味や考えについて記したブログです。

劣等感をなくす方法

そもそも劣等感とは

 「劣等感」という言葉を聞いたとき、何を思い浮かべるでしょうか。 

 

 劣等感を発生させるとき、人は他人と自分自身を比べているでしょう。そして、その他人に羨みなどの感情を覚え、同時に嫉妬を覚え、胸が苦しくなる経験をすることになるのではないでしょうか。

 

 例えば、テストで自分よりも成績が良い人がいるとき、嫉妬を覚える人がいるかもしれません。

 

 自分はあれだけ努力したのに、どうして自分よりも「優位」な位置に人がいるんだろう、だとか、あいつだけには負けたくなかった、とか言う気持ちに陥るかもしれません。

 

 そのような気持ちを抱いたとき、「次は絶対にあの人に超えてみせる」という意志を持つ人もいれば、「もう気にしないでおこう」という気持ちで勝負事には執着しないようにしよう、という決断をする人もいるかもしれません。

 

 したがって、劣等感とは、「今の自分に満足できていないという気持ち」と定義づけることができるかもしれません。

 

 注意してもらいたいのは、「羨み」と劣等感は区別してください。

 

自分自身をどう定義するのか

 私は今のところは、劣等感を感じることが良いのか悪いのかまたは自然なことなのか不自然なことなのかについては一切述べていません。話を少し変えて、劣等感という存在について考える前に、劣等感を感じる自分自身つまり人そのものについて考えてみたいと思います。

 

 そんなことを考える必要があるのかどうかという質問に対して、私はあると答えます。なぜなら、劣等感という存在は私たちが勝手に認識している形のないものであるわけですから、そのような存在に苦しめられる前に、まず形あるものから考えていくことは有意義なことではないだろうか、と私は疑ったというわけです。

 

 ここからは私の偏見に基づいた意見です。あくまでも一つの意見です。

 

 まず、「存在している」という事実を私は重く受け止めてみました。私や私以外の人も生きているということは、要するに存在しているというふうに言い換えることができます。どこに存在しているのかといえば、地球の上であることには変わりないのですが、人一人の目からはただの平らな地面の上に存在していることになります。

 

 少し数学用語を交えて表現するのなら、「人とは3次元空間に存在する点のようなものである」ということです。人を質点と見なせば、人の行動を物理学でいう経路に見立てることができます。f:id:lightning2009:20170430154333j:plain

 

 ここで私が言いたいことは、人の意識というものに形はない(目には見えない)ということです。先ほど、私は劣等感とは「今の自分に満足できていない気持ち」という定義をしてみました。しかし、人の体は物体として存在していますが、人の意識は物体としては存在せず、そして私たちは形のないものに囚われて苦しんでいるわけです。

 

意識とは何なのか

 学問的な意識についての知識はまだまだ勉強中なので、私が意識について言えることは私の経験に基づいた考えだけであるというところはご了承ください。以下に私が現在読んでいる本を紹介しておきます。 

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

「意識」とは何だろうか―脳の来歴、知覚の錯誤 (講談社現代新書)

 

 

 私が思うに、意識というのは「自分は何を経験したいのかを考えるシステム」であると思っています。

 

 かつて、私は過去の記事で、人々は常に経験を求めて生きているのではないかという考えを述べました。

lightning2009.hatenablog.com

 

 そして、経験とは人が求めているものでありかつ人に唯一できることであると私は思っています。意識とは、経験をするための準備をするシステムではないかと私は思っています。

 

結論

 劣等感とは、「今の自分に満足できていない気持ち」と定義づけました。これを無くすにはどうしたらいいでしょうか。

 

 論理的に考えれば、「今の自分に満足する」ことができれば劣等感を消すことができるということになります。では、今の自分に満足するということはどういうことでしょうか。

 

 まず、自分自身を認識する必要があります。すでに自分自身をどう定義するべきかについては述べました。自分という存在を3次元空間に存在する点であると考えればいいわけです。

 

 そして、「満足する」ということはどういうことでしょうか。私が思うに満足するということは受け入れるということであると思っています。したがって、それは今の自分自身を受け入れることであり、その上でより良い経験をして自分を満たすことでもあり、その状態に向かって準備することでもあると思います。

 

 以上より、自分は今ここに存在しているという事実を重く受け止めれば、劣等感という概念は消えるということになります。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【解析力学】【変分法】最小作用の原理を理解する

ラグランジアンについて

 解析力学で扱うたくさんの公式に共通することは、(おそらく)全て「最小作用の原理」から導き出せるということです。従って、最小作用の原理を理解することはとても重要なことであると思います。

 

 最小作用の原理とは、「現実に起こる運動は、運動エネルギーとポテンシャルの差を時間で積分した関数(汎関数)が最小値(極小値)をとるように必ず運動する」というものです。

 

 経路積分の知識があればこの原理を証明できますが、古典物理学の範疇にある解析力学では、この原理は証明を必要とせず解析力学の前提であるとして議論を進めます。

 

 解析力学では先述した「運動エネルギーとポテンシャルの差」のことをラグランジアンと呼びます。

 

 また、力学系は座標と座標を時間で微分した速度を与えるだけで決定できるため、ラグランジアン座標と速度と時間の関数であると定義します。ラグランジアンそのものに意味はないのですが、便利だからわざわざ定義して使うわけです。

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作用積分が極小値をとるため条件

 

参考文献

【スペルカードストライク】ルール解説記事(「宣言能力」について)

宣言能力とは

 ミスティア・ローレライ:声符「梟の夜鳴声」に記されている「《遮断》」の能力についてです。

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 《遮断》について調べてみると、「このストライカーは条件Xを持つ宣言能力の対象にならない」とあります。

 

 「宣言」や「能力」という2つの言葉はスターターパックのルールブックにも書かれていましたが、この「宣言能力」とは何のことでしょうか。

 

 「スペルカードストライク総合ルールver1.12」から関連する部分を要約すると、「能力はカードが持つアビリティ能力とスペルカード能力、ならびにそれを用いた行動の総称であり、それが適用されるタイミングによって、「常時発動能力」、「誘発能力」、「宣言能力」の 3 つに分かれ、「宣言能力」とは、ストライカーに宣言を行わせることで使用できる能力」と述べられています。

 

 また、「宣言」とは、「味方ストライカーに行動を起こさせることであり、宣言には「攻撃宣言」、「アビリティ宣言」、「スペルカード宣言」が存在し、宣言はストライカーフェイズの任意行動、またはリアクションチェインで行うことが出来る」と述べられています。

 

 したがって、宣言能力はスペルカード宣言もしくはアビリティ宣言と同値であると言えます。

【スペルカードストライク】ルール解説記事(ルール概要)

勝利条件とゲームの概要

 このゲームはデッキ50枚と2枚の特別なカード計52枚のカードを用意して始めることができます。そして、場に召喚された敵のカード(正式にはストライカー)を倒し、スコアという点数を15以上にするもしくは敵のストライカーを全滅させることで勝利となります。

 

 スペストのわかりにくいところが、勝利条件がイメージしにくいということです。例えば、遊戯王の場合、カードの特殊な勝利条件を除けばゲームの勝利条件はLP(プレイヤーの体力のようなもの)を0にするつまりお互い自分のLPを守るという唯一の明確なルールが存在します。しかし、スペストの場合にはプレイヤーという概念がほぼルールには関係ないため、遊戯王などのゲームの目的がはっきりしているものを経験したことがある人にとっては、スペストは少し熱中しづらいかもしれません。

 

 ゲームにおいて、戦う目的を意識させるようなルールはプレイ中プレイヤーを白熱させる効果があるのかもしれません。

 

 そう考えると、スペストにははっきりとした戦う目的があるようには思えないように見えますね。

 

スペルカードストライク総合ルール

 公式ホームページの「ルールQ&A」のページを一番下までスクロールすると、「スペルカードストライク総合ルール」というpdfが見えます。

ルールQ&A|「スペルカードストライク」~東方Project二次創作トレーディングカードゲーム

 

 ここには、文章で細かく厳密にルールについて述べられています。ルールについて気になることがあれば、このpdfをチェックしてみるといいと思います(2017/4/20現在はver1.12)。

http://scstcg.net/rule/ComprehensiveRules_20160901.pdf

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

【スペルカードストライク】【カードゲーム】スペストに初めて触れた経験について

カードゲームのルールにおいて最も重要なこと

 とあるメロンブックスで、私は東方Project二次創作のtcgである「スペルカードストライク」というものを購入しました。もともとどうしても欲しくて買ったというわけではなく、たまたまメロンブックスで見つけたため、その場の勢いで購入に至りました。

 

 私が買ったスターターパックに入っていたルールブックを早速読んでみたのですが、率直に言うと、ルールを理解するためにはわかりづらかい作りであったと思います。あくまでも私にとってはですが。

 

 わかりやすく伝えるための配慮なのでしょうけれど、漫画形式での解説でした。そのせいでどうしても説明が時系列的なものになってしまい、ルールの「核」のようなものが見えてきませんでした。核というのは、「最低限このようなことをすればいい」というイメージのことです。

 

 そこで思い至ったことが一つあります。それは、ルールを理解する上で最も重要な要素は、「勝利条件」と「カードに何ができるのか」であると私は思いました。

 

 理由についてです。勝利条件についてですが、勝利条件がもしわかっていなければ、ゲームそのものをする目的が生まれません。当たり前ですが、勝利条件に向かってゲームを進めるという前提があるわけです。また、カード単体にできることについてですが、私が思うのは、結局このゲームでは「プレイヤーが操ることができるものはカードのみである」ということです。カードを使ってゲームを進めるのなら、そのカードについての理解を得る必要があります。

 

 したがって、わざわざ時系列で説明する必要はないと思いました。なぜなら、そのゲームで自分は何をすれば良いのかというルールの核がわかれば、時系列でなくてもゲームの流れは想像できるからです。

shop.surpara.com

 

予告

 スペルカードストライクについての次の記事から、ルール解説などをしていきたいと思っています。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

私のブログの記事に対する注意(重要記事)

このブログのスタンス

 私はこのブログを通じて、このブログを読んでいただいている方々に私の知っている知識を共有できたらな、と思っています。

 

 知識は私たちの思考の幅を広げてくれるため、私たちの価値観は豊かになります。より自分の価値観を豊かにするために、私たちは勉強するわけです。

 

 現実において、実行することは大変困難だとは思いますが、心の中では私以外の人にも良い影響をほんの少しでも良いから与えたいと思っています。そして、できることなら私自身も人から何か良い影響を与えられたいです。

 

 ところで、このような行為を「メサイヤコンプレックス」だと批判する方がもしかしたらいるかもしれません。そして同時にそれは傲慢であると言うかもしれません。しかし、私はそうは思いません。これはあくまで私自身の価値観ですが、そもそも私は人間に対して「価値」の概念を当てはめることは間違っていると思っています。

 

 なぜなら、人は皆有能だからです。これ自体はアドラー心理学で有名なアドラーの言葉ですが、私自身はこう論理付けます。

 

 もともと、人にはDNAと臨界期という二つの越えられない壁があります。しかし、その人の「意志」次第でどうにでもなるということです。言い換えれば、初期条件は変えられませんが、付け足すことはできるだろうということです。

 

 人の体は、その人自身が自分で努力をして手を加えなければ価値がない、というような風潮があると思います。その結果が地位や名誉です。しかし、人という存在をもっと前向きに定義づけることができると思っています。

 

 「人の体はその人の意志に沿うよう変化するように作られている」という考え方です。もちろん、その意志をもとに実行に移すことは手間がかかります。しかし、もっと機械論的な考えをすれば、その手間さえかければ誰でも思うように変化できる、ということです。実行に移すかどうかでさえ、その人の意志が決めることです。したがって、私は人に相対的な価値を当てはめるのは、「不自然」な考え方だと思っています。

 

 悲しいことに、私たちが生活している社会は、どちらかと言えばその「不自然」な考え方をもとに構築されていると私は思います。しかし、1+1=2が常に成り立つように、すべての人が、その人の意志次第で1から2に、2から3に変化できると思っています。つまり、すべての人に変化する可能性があるわけですから、執拗に人に価値という概念を結びつけることは、勝者の傲慢ではないのか、という理屈です。(しかし、一瞬一瞬を垣間見れば、その瞬間における状態には相対的な価値がついてしまうでしょう。ここで批判しているのは、現在の風潮に対してです。)

 

 では、何を求めて人は日々生活しているのか。それは、「価値」ではなく「経験」だと思います。

 

 「経験」を手に入れるために人は「知識」を得ようとするのでは、と私は思っています。少し数学チックに考えると、人は常に何かを「知覚」しています。それを時間で積分すれば「経験」になりますし、さらにそれを時間で積分すればすなわちそれは「人生」になる、と私は考えています。

 

 もっと言ってしまえば、人という存在はむしろ経験することしかできないと思います。経験を求めて生活し、経験によって人は満たされることになるのだと私は思っています。

 

 より良い経験と人生のために、私は知識を欲します。そして、同時に私以外の人もより良い経験をできるよう、私は私にできる範囲で知識を届けたいと思っています。

 

知らないことはまとめません

 そんなスタンスでこのブログを始めましたが、このブログの注意点がいくつかあることに気づきました。このブログを読む際には、以下のことに気をつけてもらえると嬉しく思います。

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 まず、すべて私個人の主観・独断・偏見をもとに記事を書きます。なので、もしかしたら間違ったことを知らないうちに書いているかもしれません。もしこのブログで間違った箇所を見つけた場合、それを指摘していただけると大変嬉しく思います。

 

 次に、私の知らないことをまとめることはできる限りしないようにしています。記事を書く際に、勝手に憶測で記事を補完したりはしないということです。知らないことは、きっぱりと「私は知らない」と書くようにするつもりです。

 

 最後に、私の経験をもとにした記事なのかそれとも私が本などで調べたことをまとめた記事なのかを区別してもらいたいということです。後者であるならば、できる限り参考文献などを示すようにします。知識だけでなく、世の中に出回っている本の情報も共有したいからです。しかし、前者の場合、参考文献などの世間に認められた媒体が無いため、私の記事の正当性を証明することは難しいです。ですから、常に「この記事でエクレールは何が言いたいんだろう」と考えながら読んでいただけると嬉しいです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

【ミックスボイス】ミックスボイスを練習することで地声も鍛えられる

最初から地声で高音は出せない

 あくまでも私の場合の話ですが、歌を歌う際に、地声の音域の限界に気付き、ミックスボイスを習得したいと思うようになりました。

 

 ミックスボイスを練習していく中で経験したことは、ミックスボイスの練習が地声の強化につながるということです。

 

 そもそも、地声は声帯と喉の筋肉の両方を振動させることによって発生します。喉の筋肉が発達していなくても声帯が震えさえすれば地声は出るので、私たちは普段何の抵抗もなく会話ができるわけです。

 

 ところが、ミックスボイスは声帯が開いているため、声帯は震えず、地声による発声と比べるとミックスボイスによる発声は、喉の筋肉がより多く振動します。したがって、地声よりも声帯への負担は少ないのですが、喉の筋肉を地声よりも多く使うということになります。つまり、ミックスボイスは喉の筋肉が発達していれば出せるわけです。

 

 まとめると、喉の筋肉が発達していない場合、地声は何の抵抗もなく出ますが、ミックスボイスは出ません。発達している場合、ミックスボイスは出せますし、地声で高音を出すこともできます。

 

ミックスボイスを練習しまくる

 ミックスボイスは、地声よりも喉の筋肉を使うわけですから、喉の筋肉の筋力トレーニングになります

 

 ミックスボイスによる発声を繰り返せば、地声も自然に強化されます。なぜなら、地声もミックスボイスも使う筋肉は一緒だからです。

 

 以上が、ミックスボイスを練習することで地声も鍛えられるという理屈の理由です。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。