lightning2009’s diary

私の趣味や考えについて記したブログです。claire.farron2009@gmail.com

私のブログの記事に対する注意(重要記事)

このブログのスタンス

 私はこのブログを通じて、このブログを読んでいただいている方々に私の知っている知識を共有できたらな、と思っています。

 

 知識は私たちの思考の幅を広げてくれるため、私たちの価値観は豊かになります。より自分の価値観を豊かにするために、私たちは勉強するわけです。

 

 現実において、実行することは大変困難だとは思いますが、心の中では私以外の人にも良い影響をほんの少しでも良いから与えたいと思っています。そして、できることなら私自身も人から何か良い影響を与えられたいです。

 

 ところで、このような行為を「メサイヤコンプレックス」だと批判する方がもしかしたらいるかもしれません。そして同時にそれは傲慢であると言うかもしれません。しかし、私はそうは思いません。これはあくまで私自身の価値観ですが、そもそも私は人間に対して「価値」の概念を当てはめることは間違っていると思っています。

 

 なぜなら、人は皆有能だからです。これ自体はアドラー心理学で有名なアドラーの言葉ですが、私自身はこう論理付けます。

 

 もともと、人にはDNAと臨界期という二つの越えられない壁があります。しかし、その人の「意志」次第でどうにでもなるということです。言い換えれば、初期条件は変えられませんが、付け足すことはできるだろうということです。

 

 人の体は、その人自身が自分で努力をして手を加えなければ価値がない、というような風潮があると思います。その結果が地位や名誉です。しかし、人という存在をもっと前向きに定義づけることができると思っています。

 

 「人の体はその人の意志に沿うよう変化するように作られている」という考え方です。もちろん、その意志をもとに実行に移すことは手間がかかります。しかし、もっと機械論的な考えをすれば、その手間さえかければ誰でも思うように変化できる、ということです。実行に移すかどうかでさえ、その人の意志が決めることです。したがって、私は人に相対的な価値を当てはめるのは、「不自然」な考え方だと思っています。

 

 悲しいことに、私たちが生活している社会は、どちらかと言えばその「不自然」な考え方をもとに構築されていると私は思います。しかし、1+1=2が常に成り立つように、すべての人が、その人の意志次第で1から2に、2から3に変化できると思っています。つまり、すべての人に変化する可能性があるわけですから、執拗に人に価値という概念を結びつけることは、勝者の傲慢ではないのか、という理屈です。(しかし、一瞬一瞬を垣間見れば、その瞬間における状態には相対的な価値がついてしまうでしょう。ここで批判しているのは、現在の風潮に対してです。)

 

 では、何を求めて人は日々生活しているのか。それは、「価値」ではなく「経験」だと思います。

 

 「経験」を手に入れるために人は「知識」を得ようとするのでは、と私は思っています。少し数学チックに考えると、人は常に何かを「知覚」しています。それを時間で積分すれば「経験」になりますし、さらにそれを時間で積分すればすなわちそれは「人生」になる、と私は考えています。

 

 もっと言ってしまえば、人という存在はむしろ経験することしかできないと思います。経験を求めて生活し、経験によって人は満たされることになるのだと私は思っています。

 

 より良い経験と人生のために、私は知識を欲します。そして、同時に私以外の人もより良い経験をできるよう、私は私にできる範囲で知識を届けたいと思っています。

 

知らないことはまとめません

 そんなスタンスでこのブログを始めましたが、このブログの注意点がいくつかあることに気づきました。このブログを読む際には、以下のことに気をつけてもらえると嬉しく思います。

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 まず、すべて私個人の主観・独断・偏見をもとに記事を書きます。なので、もしかしたら間違ったことを知らないうちに書いているかもしれません。もしこのブログで間違った箇所を見つけた場合、それを指摘していただけると大変嬉しく思います。

 

 次に、私の知らないことをまとめることはできる限りしないようにしています。記事を書く際に、勝手に憶測で記事を補完したりはしないということです。知らないことは、きっぱりと「私は知らない」と書くようにするつもりです。

 

 最後に、私の経験をもとにした記事なのかそれとも私が本などで調べたことをまとめた記事なのかを区別してもらいたいということです。後者であるならば、できる限り参考文献などを示すようにします。知識だけでなく、世の中に出回っている本の情報も共有したいからです。しかし、前者の場合、参考文献などの世間に認められた媒体が無いため、私の記事の正当性を証明することは難しいです。ですから、常に「この記事でエクレールは何が言いたいんだろう」と考えながら読んでいただけると嬉しいです。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。