lightning2009’s diary

私の趣味や考えについて記したブログです。

【ギター】【音楽】【楽器】ギターに対する私の音楽観とプレイスタイル(あくまでも私(初心者ですが)の意見)

ギターをやっていて思ったこと

 比較的、私はギターをそんなに練習したりしていないと思っています。毎日必ず数時間練習することを欠かさず続けて、日々生活しているというわけではありません(しかしギターは好きなので、ほぼ毎日触っていたりはしている気がします)

 

 そんな勢いでゆったりと練習しながらも、こう見えて、私もギターを「愛している」と一言言っておきたいところです。

 

 そう思う理由は、やはり音楽は楽しいですし、ギターという音や楽器そのものが好きだからです。ギターを弾くことで、その弾いている間だけ、私はすべての煩悩から解放されたかのような気持ちになることができます。そのことを、曲に「ノる」と言うのかもしれませんが。

 

 したがって、私がギターを弾く目的は、「音楽に触れる」ということになると思います。決して、他のどのギタリストよりも上手くなるなどという他人との差別化を図る目的で始めたのではありません(とは言いつつも、単純に上手くなりたいという気持ちは強くあります)。

 

 前置きはここまでにして、本題に入りたいと思います。

 

 私はギターをやっていて思ったことがあります。それは、「自分はどのような世界観を作るためにギターを弾きたいのだろうか」ということです。

 

 ここで、ギターとは関係のない立場の人がもし聞いてもわかってもらえるように、少し話を変えたいと思います。

 

 例えば、何か楽器で曲を奏でるときや、好きな歌手の歌を歌うときに、なぜその曲を練習するのか、あるいは歌うのかと言われれば、当然その音楽が「好き」だからだと思います。つまり、何か音楽に触れるとき、必ずその瞬間にはおそらくその音楽に対して「好き」という衝動が働いているのではないだろうかということです。

 

 したがって、何か楽器を始めるにしても、もしもその目的が音楽を楽しむことであるならば、必ずしも初心者用の曲から練習する必要もなく、あるいは他者からの相対的な評価を受けるためだけに難しい曲ばかりを練習する必要もないわけです(別にうまい人に対する嫉妬があるというわけではなく、これはあくまでも極端な例であって、私はただただ音楽に触れる目的を重視するべきだと主張したいのです)。とてもナンセンスな行為だと私は思います。

 

 そうではなくて、まずギターを始めるならば、もそもギターにできることや、他の楽器と音を重ねるときの役割などを考える必要があるのではないだろうか、ということが言いたいです。

 

 話を元に戻して、私が言いたいことをシンプルにまとめて表現すれば、「どんなプレイスタイルを築きたいのか」ということです。

 

プレイスタイルには種類がある

 どんな音楽を研究・追究したいのか、ということを考えることで見えてくることがあります。それは、「自分の心に内在する衝動や感情を素直に受け止め、それを満足させるために必要なことだけを過不足なく用意する」ということです。

 

 例えば、スラップ奏法やスラム奏法を主体とするプレイスタイルは、単音と単音をできる限り細く並べることで、吸い込まれるような疾走感と日々私たちが感じている時間の中の一瞬一瞬を感じることができるのではないでしょうか(以下の動画はギタリストMIYAVIの楽曲です)。


MIYAVI Guitar Slap


MIYAVI - WHAT'S MY NAME?


MIYAVI - Horizon


MIYAVI vs YUKSEK - DAY 1

 

 他にも、アルペジオ奏法というものがあります。こちらは音と音を複合的に集めた(いわゆるコード)美しい響きを一つのテンポの上に並べることによって、「音」そのものに引き込まれてしまうと思います。


ONE OK ROCK "Kanzenkankaku Dreamer" by Osamuraisan 「完全感覚Dreamer」アコギでロック


KANA-BOON ”Silhouette” by Osamuraisan 【NARUTO OP】「シルエット」アコギでロックしてみた


Alexandrosのワタリドリ、アコギで弾いてもカッコイイわい

 

 他にもいろんな奏法があると思います。一つの曲を演奏するにしても、奏法が違えば全く違う印象を与えることができると思います。

 

 こんなプレイスタイルを築いてみたい、と思ったらそれを好きなだけ追究するべきなのではないだろうか、私は思っています。その際に、するべきことがいくつかあると思います。

 

 例えば、指や腕の筋肉を鍛えたり、必要なコードネームを覚えたりすることです。

 

 かといって、必要以上に体を鍛えたり、使う予定のないコードを覚える必要はありません。大切なのは、「内在する衝動や感情を満足させるために必要なことだけを過不足なく用意する」ということだと私は思っています。

 

 つまり、自分のやりたい音楽が明確であるという軸を持ち合わせ、それに向かって過不足のない努力や準備をする意思があるのであれば、人よりも練習量が仮に少なくてギターが上手くなくても、あるいは手が小さいなどの身体的な不利があったとしても(成長期なら遺伝に関係なく意図的に伸ばせますが)、胸を張って「私は立派なギタリストである」と言っても過言ではないと思っています(それに対して他人がどう思うかはその人の勝手ですから、それを強く気にすることはナンセンスだと思います)。

 

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。